「MVP」っていうの概念に似ているけど、言いたいことは「効くもしない、中途半端のことでもいい」と言うことだ。構造だけをしたらいいし抽象的なイメージでもいい。もちろん、これは「少しずつをして」考え方で、あまり新しいや革命的な安じゃなってもう分かるけど、僕的にすごく大事だ。通常の考え方との違う点は集中全くできない時の作戦だ。いろんな用事は山ほど重ねたら、頭脳が凍結なる。その時は、その用事の一つを熟すでもなく、時々とりあえずただの少し進歩で十分だ。せめて結局何もしないましだ。大体この「Analysis paralysis」の事件にいったら、何が「大事のに全然したくない」ってことはっきり分かるはずだ。そう言うことを処分ための戦略だ。例えば、この投稿はその理論の実践だ
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感情の大切さ
皆の通常でもとも合理的に考えたらと言ったら、大体感情は理解できない人間としての欠陥にしか見えない。理由は分かるけど、頭の病気や欠陥でもない、人間感覚の重要な一部だ。
昔から相手の頭の中の僕のイメージは、合理的で感情に惑わされない方と認めたらしい、確かに多分そのようだった。でも、やがて一番合理的な考え方はそれじゃないと気づいた。感情は人間としての必須の一部だったら、無視してる素振りは大間違いだ。感情は大事な道具として扱わなくてはならない。
その実践は後で書く(笑)
改めておはよう世界
後書:うっすグーグル先生、読者の皆のために日本語から訳してありがとう。
昔からブログの概念が気になって子供の時父に聞いたんで、ブログを作ってくれたけど、何れそのモティベーションは消えてしまう。実は、WordPressのことは結構知ってる。頭の中に、ブログを作ったっら自分が書いた構造は、条件じゃなくてでもその気がする。それと思ったけど、その考え方は、結果的に、ただのサボり計画に過ぎない。書いてネット上に上げたら十分じゃない?
その考えで、日本語の作文は同じようなこと。今の僕は確かに「まだ十分な準備はしてない、もっと勉強して、日本語能力を上がって、後で書くことを考えて」とは言え、その考え方も絶対の失敗路だ。とりあえず書いてみて、期待を低い限りにして、そのまま出版して。
正直言って、このぐらいの文章は書ける理由は、誰も読んでないことだ。一番合理的な向上方法は、ただの永遠のやってやり直しての繰り返しだ。その偉そうな理由もあって、未来の僕のための痕跡を残す、その僕をこの下手臭いなテキストをクソすぎるせいで笑って上げてもある。
どのくらいの頻度で書けるはまだ全くしらないけど、その書く筋肉を鍛えたらいいな…。そんなにAnkiして、9000の言葉をおぼおえてこの片言で書いては悲惨すぎる。